明治18年 旧鳥取藩主池田侯爵の出資により、神田区仲猿楽町に寄宿舎を新設、「久松閣」と称する。
明治24年 小石川区表町に移転。
明治33年 寄宿舎名を「久松学舎」と改称。
昭和20年5月25日の東京大空襲で焼失。
昭和31年 豊島区椎名町に新設「清和寮」と称する。
昭和39年 清和寮が手狭になったため千葉県船橋市に新築移転「明倫館」と称し、一室2名で定員150名。清和寮は改築して女子寮とする。
平成 1年 船橋は都心に遠く、また二人相部屋が嫌われて年々入寮者が減ったため、世田谷区成城の現在地に新築移転し現在に至る。