歴史は遠く明治20年にまでさかのぼります。当時東京において勉学していた医科大学生土肥慶蔵等が、福井県武生(現:越前市)の近郊出身者の交友を深めるために、郷里の先輩である渡辺洪基(帝国大学初代総長)の支援の下に、武生郷友会を設立したのがその源流です。数年後に千代田区麹町に設置した会所に学生を寄宿させたことから、現在の育英事業が始まりました。会所は大正3年に港区にあった旧府中藩主本多男爵邸に移転した後に、大正13年に当時目白文化村と称して開発された現在地に移転し、本格的な学舎を建設するにいたりました。その後、増改築を重ねましたが老朽化が進む一方、用地の一部を公共用地として提供せざるを得ない事情も発生したため新築を決意するに至りました。